インターネットラジオで70年代を聴いていると、必ずBostonが掛かることになっている。Bostonは日本では渋谷陽一が酷評したためか、海外に比べて人気が無い。確かにロックでキャッチャーというのは、それまであまりなかったと思うが、スコーピオンズとかジャーニーと比較しても、Bostonのサウンドは先駆者だし、演奏も編曲も素晴らしいと思う。特に「Don't Look Back」は珠玉の出来だ。
トム・ショルツの重厚なアレンジを聴くには、CDではなくてアナログレコードがいい。フィル・スペクターのウォール・オブ・サウンド(音の壁)を超えた世界が見える。
2012年4月6日金曜日
2012年4月3日火曜日
ドリームシアターの窮屈さ
ドリームシアターが今月来日する。マイク・ポートノイが脱退してから出したアルバムも好評で、チケットも売れることだろう。来日ミュージシャンでも東京と大阪はペイするが、名古屋公演は赤字になるというのが通説だが、ドリームシアターの日程を見たら土曜日の夜に名古屋公演が入っていて、興行元のリスク対処に笑ってしまった。
最初に彼らを聴いたのはメガデスのライブDVD「GiganTour」の2曲「Glass Prison」と「Panic Attack」。演奏の立ち姿がおかしいなあと思ったらギターが7弦、ベースが6弦だった。それから興味をもって何枚かアルバムを聴いてみると、個々の演奏技術は素晴らしく、またヒット狙いの曲などもあって聴きやすい。
で・・・すぐに飽きてしまいました。はっきり言って退屈(=boring)。曲も演奏も広がらない。もちろんチックコリアがリターン・トゥ・フォーエヴァーでやっていた70年代にも及ばない。
この窮屈さはなんだろう・・・。ドリームシアターの初期はRushをお手本にしているらしいが、Rushの方がはるかに広がっていると思う。
最初に彼らを聴いたのはメガデスのライブDVD「GiganTour」の2曲「Glass Prison」と「Panic Attack」。演奏の立ち姿がおかしいなあと思ったらギターが7弦、ベースが6弦だった。それから興味をもって何枚かアルバムを聴いてみると、個々の演奏技術は素晴らしく、またヒット狙いの曲などもあって聴きやすい。
で・・・すぐに飽きてしまいました。はっきり言って退屈(=boring)。曲も演奏も広がらない。もちろんチックコリアがリターン・トゥ・フォーエヴァーでやっていた70年代にも及ばない。
この窮屈さはなんだろう・・・。ドリームシアターの初期はRushをお手本にしているらしいが、Rushの方がはるかに広がっていると思う。
2012年3月19日月曜日
ホイットニー・ヒューストンが拓いた道
ホイットニー・ヒューストンが亡くなってもう一ヶ月余りが経つ。死亡のニュースが流れた際にはfacebookでyoutubeの動画をアップする人も多かったが、とても見る気にはなれなかった。当初は自殺ではないかとの報道もあったが、育ての親であるアリスタ・レコードのクライヴ・デイヴィスのパーティーに参加するためにホテルにいたのだから、恩人の前で自殺するはずがない。クライヴ・デイヴィスは高齢だと思うが、娘みたいなホイットニーが死んでかなりのショックだと思う。
いまでは想像も出来ないけれど、80年代にホイットニー・ヒューストンが果たした公民権運動は非常に大きいものがあった。クライヴ・デイヴィスはホイットニーをデビューさせるときに、白人のラジオ局にも売りまくった。マイケル・ジャクソンが黒人としてはじめてMTVに出演出来た頃である。彼女はひたすら売れるためにゴスペルから離れて白人のように歌い、ついには1989年のソウルトレインで大ブーイングを受けてしまう。
その後90年代の彼女はアトランタのLAフェイスが甘い楽曲を提供しまくり、レコードは売れに売れるのだが、自分の音楽ルーツからどんどん離れてしまい、それがドラッグへと繋がったのかも知れない。ここら辺は、デビューからの清楚なイメージから脱却できず、兄のリチャードを離れてフィル・スペクターにすがり、最後は拒食症で亡くなったカレン・カーペンターと似たものがあると思う。
「ボディーガード」は一人映画館で観た記憶がある。当時のホイットニーは「ツイットニー(生意気)」と呼ばれていて、共演した歌手をいじめることで有名だった。ケビン・コスナーも撮影のあとで彼女の悪口を言っていたから、相当ひどい状態だったのだろう。そんな前提知識でみた彼女の映画はつまらなかった。でも今でもたまにホイットニー・ヒューストンのCDは聴いている。何曲か続けて聴くと、たまに1曲びっくりするくらい素晴らしい彼女の声に触れることができて、全身の筋肉が弛緩するのだ。もちろん涙腺も。
いまでは想像も出来ないけれど、80年代にホイットニー・ヒューストンが果たした公民権運動は非常に大きいものがあった。クライヴ・デイヴィスはホイットニーをデビューさせるときに、白人のラジオ局にも売りまくった。マイケル・ジャクソンが黒人としてはじめてMTVに出演出来た頃である。彼女はひたすら売れるためにゴスペルから離れて白人のように歌い、ついには1989年のソウルトレインで大ブーイングを受けてしまう。
その後90年代の彼女はアトランタのLAフェイスが甘い楽曲を提供しまくり、レコードは売れに売れるのだが、自分の音楽ルーツからどんどん離れてしまい、それがドラッグへと繋がったのかも知れない。ここら辺は、デビューからの清楚なイメージから脱却できず、兄のリチャードを離れてフィル・スペクターにすがり、最後は拒食症で亡くなったカレン・カーペンターと似たものがあると思う。
「ボディーガード」は一人映画館で観た記憶がある。当時のホイットニーは「ツイットニー(生意気)」と呼ばれていて、共演した歌手をいじめることで有名だった。ケビン・コスナーも撮影のあとで彼女の悪口を言っていたから、相当ひどい状態だったのだろう。そんな前提知識でみた彼女の映画はつまらなかった。でも今でもたまにホイットニー・ヒューストンのCDは聴いている。何曲か続けて聴くと、たまに1曲びっくりするくらい素晴らしい彼女の声に触れることができて、全身の筋肉が弛緩するのだ。もちろん涙腺も。
2012年3月14日水曜日
CDを3枚選ぶとしたら
実はお気に入りの3枚をこのブログに書いたことはない。出し惜しみではなくて、あまりにも名盤なのでわざわざ書く必要がないから。
・エルビス・ライブ・イン・メンフィス
ラスベガス公演ではなく、メンフィスのライブです。
・ウィスキー・ア・ゴーゴー
オーティス・レディングの楽屋に来たのはボブ・ディランです。
・ライヴ・アット・ジ・アポロ
もちろんジェームス・ブラウンです。
こうやってみると、昔のライブ盤になってしまうけど、パフォーマンスが素晴らしいと演奏も素晴らしく、それがダイレクトに伝わるのが 60年代70年代ということなのでしょう。
・エルビス・ライブ・イン・メンフィス
ラスベガス公演ではなく、メンフィスのライブです。
・ウィスキー・ア・ゴーゴー
オーティス・レディングの楽屋に来たのはボブ・ディランです。
・ライヴ・アット・ジ・アポロ
もちろんジェームス・ブラウンです。
こうやってみると、昔のライブ盤になってしまうけど、パフォーマンスが素晴らしいと演奏も素晴らしく、それがダイレクトに伝わるのが 60年代70年代ということなのでしょう。
2012年3月12日月曜日
Aerosmith - エアロスミス
最近、エアロスミスをよく聴いている。
米国Foxテレビの人気番組「American Idol」の審査員を、前節に続いてエアロスミスのヴォーカリストであるスティーヴン・タイラーが務めるようだ。最近はエアロスミスからの脱退とか、鎮痛剤の飲み過ぎで入院したとか、ジョー・ペリーが単独でツアーをやったりしていたので心配したが、元気な顔をテレビで見せるようで安心した。
エアロスミスは中学生の頃にレコードを買ったのだけど、なんか録音がモコモコしていて「Dream On」以外はよくわからなかった。武道館公演もアリーナで見たのだけど、PAが悪くてモコモコして終わった記憶がある。
大学に入ったときにはもうエアロスミスを聞くこともなく、Run-D.M.C.の「Walk This Way」まで忘れていた。彼らは何度もカムバックしているが、映画「アルマゲドン」で流れてくるスティーヴン・タイラーのヴォーカルに涙した人も多いだろう。
確かエアロスミスは一度コンサート機材一式を船の沈没で失ったはず。とにかくタフなバンドとタフなヴォーカルだ。
米国Foxテレビの人気番組「American Idol」の審査員を、前節に続いてエアロスミスのヴォーカリストであるスティーヴン・タイラーが務めるようだ。最近はエアロスミスからの脱退とか、鎮痛剤の飲み過ぎで入院したとか、ジョー・ペリーが単独でツアーをやったりしていたので心配したが、元気な顔をテレビで見せるようで安心した。
エアロスミスは中学生の頃にレコードを買ったのだけど、なんか録音がモコモコしていて「Dream On」以外はよくわからなかった。武道館公演もアリーナで見たのだけど、PAが悪くてモコモコして終わった記憶がある。
大学に入ったときにはもうエアロスミスを聞くこともなく、Run-D.M.C.の「Walk This Way」まで忘れていた。彼らは何度もカムバックしているが、映画「アルマゲドン」で流れてくるスティーヴン・タイラーのヴォーカルに涙した人も多いだろう。
確かエアロスミスは一度コンサート機材一式を船の沈没で失ったはず。とにかくタフなバンドとタフなヴォーカルだ。
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