2011年3月5日土曜日

だからここに来た ~全日本フォーク・ジャンボリーの記録~

今年84歳になる私の母が、先日浅草5656会館で開催された「なぎら健壱」のコンサートに行ってきたらしい。それもかなり面白かったとのこと。私は小学生の時に東芝銀座セブンでライブを見たから、40年を経て同じフォークシンガーを親子で見たことになる。

私が小学生の時に「なぎら健壱」の曲が発禁(自主規制)になった。彼は発禁騒動のあと出演したNHKのラジオで、ギターだけで「悲惨な戦い」を演奏したのだが、すごいテクニックでびっくりしたのを覚えている。

どうしても生の演奏を聴きたくなり、彼が出演するイベントに葉書で応募したら当選したのだが、そのイベントというのが田中真理の日活ロマンポルノ裁判についての報告会だった。いま考えてみるとよく親が行かせたと思う。もちろん小学生の私には報告会の内容がわかる訳もなく、田中真理のあとの「なぎら健壱」と「あがた森魚」の出番を楽しみにしていたのだ。

最近、「ウッドストック」やザ・バンドの「ラストワルツ」など70年代の映像を見直しているのだが、日本でもDVDで「だからここに来た ~全日本フォーク・ジャンボリーの記録~」がリリースされたので、さっそく借りた。残念ながら映像が8ミリだが、それでも当時の高田渡、遠藤賢司、岡林信康が映っていて感動ものだ。最近は「漫画20世紀少年」で遠藤賢司のことを知っている子供も多いので、家族で見ることも出来るだろう。

母も聴いているNHK日曜日朝のなぎら健壱の番組「あのころのフォークが聴きたい」でも、当時の様子を伺い知ることが出来る。スリーフィンガー・ピッキングの話が出る番組はもうこれだけだろう。

2011年3月1日火曜日

STEVE GROSSMAN スティーブ・グロスマン

スティーブ・グロスマンを初めて聴いたのは、ドン・アライアスのバンド「Stone Alliance」で、彼のテナーサックスの音はかなり衝撃だった。さっそくレコードを浅草のFというジャズ喫茶に持っていったのだが、Fのマスターはちょっと聴いて「あ、これはコルトレーンだね」と言ってあまりウケなかったのを覚えている。

社会人になってから、スティーブ・グロスマンが来日したので新宿ピットインに行ったら、これが酷かった。薬が切れていてまったく吹けない。客席に向かって「薬をくれ」と懇願する。楽器すら構えることが出来ない状況で、ピアノが高瀬アキ、ベースが井野信義、ドラムが日野元彦だったのだが、前半は1曲も吹かないまま終わった。
休憩時間に日野元彦が彼に酒を大量に飲ませて、さあ後半1曲目が「インプレッションズ」を吹いたのだが、これは凄かった。でも1曲でアルコールが切れてしまい、あとは吹けない。

先々週の日経土曜日夕刊ディスク・レビューでスティーブ・グロスマンの新譜が紹介されていて、びっくりした。YouTubeで25年ぶりに聴くスティーブ・グロスマン、なかなかいいじゃないですか。